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最高裁判所第二小法廷 平成元年(オ)1166号 判決

上告人(被告)

久保田秀雄

ほか一名

被上告人(原告)

山田弘子

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人田中登、同加藤文郎及び上告補助参加代理人溝呂木商太郎、同新田義和の各上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立つて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 香川保一 島谷六郎 藤島昭 奥野久之)

上告理由

原判決は、上告人らの、保険金の支払に基づく、債権の準占有者に対する弁済の抗弁を排斥したが、同認定には判決に影響を及ぼすことが明らかな民法四七八条の解釈の誤り、または理由不備の違法があるものと思料する。

以下その理由を述べる。

一 事実関係について

(1) 本件は、昭和五七年三月二三日山口市内の横断歩道上において、上告人有限会社山口互助センター(以下「互助センター」という。)が雇用する上告人久保秀雄(以下「久保」という。)が業務のため運転中の普通貨物自動車(以下「加害車」という。)と歩行横断中の訴外亡吉富靖峰(昭和四七年一月二九日生。以下「靖峰」という。)とが接触し、靖峰が負傷死亡した交通事故に基づく損害賠償請求事件である。

(2) 訴外亡靖峰は、訴外吉富勝彦(以下「勝彦」という。)及び被上告人間の長男であり、長女吉富寿江とともに昭和五五年八月頃までは両親と、同年一〇月頃までは訴外勝彦と同居していたが、同年一〇月頃以降、児童福祉施設である山口育児院で養育を受けていたものである(甲二号証、第一審被上告人本人尋問)。

(3) 訴外勝彦と被上告人は、昭和四六年一二月一九日婚姻、同五一年二月二三日協議離婚、同五二年一月六日再度婚姻、同五二年一月一七日再度協議離婚しているが(甲二号証)、昭和五五年八月まで萩市内において、同居している(第一審被上告人本人尋問)。

その後、上告人は、萩市内の新川に別居、ホステスとして昭和五七年二月以降、大阪市、三原市、三次市、萩市等を転々とし、本件事故当時は大阪にいた由である(第一審被上告人本人尋問)。

(4) 本件示談交渉は、昭和五七年五月頃から訴外勝彦と被上告人久保及び上告人互助センター古賀部長との間で行われ、約一〇回の交渉後、同五八年四月二〇日示談書が作成された(原審上告人久保本人尋問、原審証人郷田の証言)。

(5) 右交渉については、本件加害車(所有者及び保険契約者は、訴外下関レンタカー有限会社である。)が加入している任意保険の関係から、訴外東京海上火災保険株式会社(以下「東京海上」という。)が協力することとなり、同会社の担当社員である訴外郷田繁夫において、昭和五七年五月頃最初に行われた交渉に同席し、その後、被保険者である上告人らから示談交渉の経過につき連絡を受け、損害賠償額等について上告人らに助言し、示談書の原稿を作成したほか、訴外勝彦及び清水弁護士から電話による陳情や連絡を受けた事実があるが、当該任意保険の内容が示談代行サービスを含まない自動車保険(いわゆるBAP。周知のように、示談代行サービスを含む自動車としては、自家用自動車保険《PAP》や自家用自動車総合保険《SAP》がある。)で、交渉自体は上告人らが行う建前であつたため、訴外東京海上の関与は間接的なものにとどまり、示談書作成に際しても同席するようなことはなかつた(原審証人郷田の証言)。

(6) なお、右交渉に関し、昭和五七年六月頃、訴外勝彦の代理人として、訴外清水弁護士が関与し、上告人ら及び訴外東京海上との交渉に当たつた事実があるが、その後解任された由であり、関与の程度及び解任の理由及びその時期は不明である(後記のとおり、原判決は、本件示談の直前になつて清水弁護士を解任した旨認定するが、解任時期を裏付ける証拠は見当たらない。)。

(7) 本件示談書の内容は、訴外亡靖峰の傷害及び死亡に関する損害賠償額として、総額二四五六万二五四〇円、このうち、同人の父である訴外勝彦の分を一二九二万七五四〇円、及び上告人の分を一一六三万五〇〇〇円と定め、訴外勝彦分については、既受領額一〇五三万四〇四〇円を差し引いた二三九万三五〇〇円を、上告人分については、自賠責から支払われる九八〇万円を差し引いた一八三万五〇〇〇円を支払うというものであつた(乙一号証)。

二 本件関係について

(1) 本件加害車は、訴外下関レンタカー有限会社の所有であり、同会社は、自賠責保険を補助参加人共栄火災海上保険相互会社(以下「共栄火災」という。)と(甲一号証、丙一号証)、任意保険(自動車保険)を訴外東京海上とそれぞれ契約していた(原審証人郷田の証言)。

しかして、上告人らは、いずれも右各保険の被保険者であつた。

なお、任意保険が強制保険である自賠責保険のいわゆる上のせ保険であり、損害賠償額が自賠責保険から支払われる額を超過した場合、その超過部分を填補するものであることは周知のとおりである。

(2) 自賠責保険においては、損害賠償額が確定していない場合でも、自賠法一六条に基づく被害者請求により、損害賠償額の支払を請求することができ、任意保険と無関係に請求および支払が行われる。

任意保険においては、約款上、損害賠償額が確定することが保険金支払の前提条件であり(最高裁昭和五五年(オ)第一八八号同昭和五七年九月二八日第三小法廷判決・民集三六巻八号一六五二頁など)、示談の成立その他損害賠償額が確定してから保険金が支払われる。この場合、損害賠償額総額から自賠責保険からの支払額を控除した額が支払われることは前記のとおりである。

(3) 自賠責保険の支払手続は、迅速公平な被害者救済という制度目的から、書類審査に基づいてなされるのが原則であり、実質的な調査を行うことは例外である。

任意保険の支払手続は、通常、被保険者からの保険金請求に基づいて行われ、保険会社は、被保険者が既に損害賠償を支払つていた場合には、被保険者に対して、また、被保険者が損害賠償を支払つていない場合には、被保険者の支払指図のもとに直接被害者ら債権者に対して、それぞれ支払うべき保険金を支払つているが、任意保険のうち、示談代行サービスを含まない本件のような保険契約の場合には(BAP。前記のとおり、この場合には、被保険者自身において示談交渉を行う建前であり、保険会社は、損害賠償額等について助言するなど被保険者の示談交渉に協力することはあつても、その関与は間接的で、交渉の経過及び結果については、被保険者が責任を負う筋合である。なお、示談代行サービスを含むものとしては前記のPAP及びSAPがあり、これらの場合には、直接、保険会社の社員または保険会社が選任した弁護士が示談交渉を担当する。)、やはり書類審査に基づいてなされるのが原則であり、実質的な調査を行うことは例外である。

三 原判決の認定について

(1) 原判決は、上告人らおよび補助参加人の主張する。債権の準占有者に対する弁済の抗弁について、次のように認定している(原判決理由四)。

「一 訴外勝彦が控訴人を代理する正当な権限を有すると称して共栄火災保険、東京海上保険に対し、各保険金の請求をしたので、共栄火災保険が昭和五八年四月二六日本件事故による自賠責保険の内控訴人取得分九八〇万円を、東京海上保険が同年五月七日本件事故による任意保険の内控訴人取得分一八三万五〇〇〇円を、それぞれ山口相互銀行小郡視点の勝彦名義の普通預金口座に振り込んで支払つた。

二 勝彦が自賠責保険を取り扱う共栄火災保険(中国営業部)に対し、控訴人を代理する正当な権限を証明する書類として、(1) 控訴人が同年四月一三日勝彦に対し、靖峰の本件事故による損害賠償の自賠責保険金の請求、受領に関する一切の権限を委任する旨の、控訴人名下に「山田」の押印があり共栄火災御中と書かれた委任状(丙第二号証)、(2) 右委任状の印影と同一の印鑑登録証明書(丙第三号証)を提出し、(3) これらに基づき勝彦が作成して、控訴人が同年同月一四日共栄火災保険に対しその自賠責保険金の内控訴人取得分につき請求する旨の請求書(丙第一号証)を提出した。共栄火災保険は、これらの書面を審査して、勝彦が控訴人を代理する正当な権限を有するものと信じた。

三 勝彦が任意保険を取り扱う東京海上保険に対し、控訴人を代理する正当な権限を有することを証明する書類として、(1) 被控訴人らとの間に成立したものとして前記三認定の本件示談書(乙第一号証)と、(2) 右の付属書類である委任状(乙第二号証)、印鑑登録証明書(乙第三号証)であり、東京海上保険は、これらの書類を審査して、勝彦が控訴人の代理権を有するものと信じた。」

「 しかし、共栄火災保険、東京海上保険が、右のように勝彦に控訴人を代理する正当な権限があるものと信じたことにつき過失がなかつたとする被控訴人ら及び補助参加人の主張については、これを認めることのできる的確な証拠がなく、かえつて(中略)次の事実が認められる。」

「一 勝彦は本件事故後間もなく本件損害賠償請求を清水弁護士に委任し、清水弁護士が被控訴人ら、共栄火災保険及び東京海上保険と、約一年約一〇回にわたり交渉を重ねたが、清水弁護士はその際、被控訴人ら、共栄火災保険及び東京海上保険に対し、控訴人は勝彦と以前に離婚しその後音信不通で所在が不明であり多額でもあるから、控訴人取得分については所轄の家庭裁判所で不在者財産管理人の選任を受け、その者とその賠償の交渉をすべきであり、自分は勝彦の取得分についてだけ委任をうけたもので、その点につき交渉するものである旨明示されていた。

二 その間、勝彦は、直接被控訴人らとの示談交渉をしたことも数回あつたが、その際には、何時も勝彦と同棲している女性が同席していた。

三 勝彦は、その後本件示談の直前になつて、清水弁護士を解任し、自らその賠償の交渉を始めたが、そのころ急に、被控訴人ら、共栄火災保険及び東京海上保険に対し、控訴人の住所が判明し、連絡の結果、勝彦が控訴人から本件事故による損害賠償の内控訴人取得分について示談をする代理権を授与された旨述べるに至つた。被控訴人ら、共栄火災保険及び東京海上保険は清水弁護士から従前聞いていた前記事情と異なるのに、何等の疑いを抱かずに、右勝彦の言うことを信じた。」

「 被控訴人ら、共栄火災保険及び東京海上保険は、その直前まで勝彦の代理人をしていた清水弁護士から控訴人が勝彦と離婚しその後所在不明でその金額を多額であるから、控訴人のためには家庭裁判所で不在者財産管理人の選任を受けその者と交渉すべきであり、勝彦に関してのみその交渉をする旨述べられ、その旨の交渉を続けていたのであり、勝彦には、同棲していた女性がいたしまた、夫婦が離婚した場合には、婚姻関係は破綻し、両者間に法律行為を委任する信頼関係が欠けているのが一般であるから、清水弁護士が解任された後急に、勝彦自身から、自分が控訴人から示談をし、控訴人取得分について請求、受領する代理権を与えられたといわれ、それに沿う書類が一応存在していても、右各事情からみてそれが真実かどうかには多分に疑いを抱くのが通常といえるから、控訴人に対し、その代理権授与の有無及び内容について調査確認をすべき注意義務があるといわなければならない。しかるに、被控訴人ら、共栄火災保険及び東京海上保険は、いずれも、これを怠つた過失があるから、山口相互銀行小郡視点の勝彦名義の普通預金口座に振り込んで送金した前記認定の各支払は、民法四七八条の債権の準占有者弁済の要件を充足するものではなく、弁済としての効力を生ずるものではない。この点の被控訴人ら及び補助参加人の主張は理由がない。」

(2) しかしながら、原判決には、次のような問題がある。

〈1〉 清水弁護士が本件示談の直前に解任されたとするが、本件記録中には、その時期を明らかにする証拠は見当たらず、また、これを推認すべき特段の事情も存在しない。

〈2〉 離婚した夫婦間に、法律行為を委任する信頼関係が欠けているのが一般であるとするが、本件各保険金請求のように、利害が共通で、支払総額及び各請求権者の取得分が確定している場合には、しばしば見られるところであり、異常であるとはいい得ない。

本件の場合は、最初の離婚以後の、再婚、再離婚の時期が極めて短いこと、その後も約四年間同居していること、異常な頻度で転居していること(甲三号証)などからして、少なくとも再離婚は、債権者の追及を避けるため(因に、本件損害賠償債権については、債権差押がなされている。同差押命令の事件番号は、広島地裁三次支部昭和六一年(ル)第一三六号債権差押命令であり、債権者は訴外有限会社北陽総業、債権者は被上告人、第三債権者は上告人らである。なお、なぜか右債権者の代理人には後出の高洲弁護士がなつているが、不可解である。)の偽装離婚である蓋然性があり、離婚即信頼関係の欠如と考えるのは不相当である。

〈3〉 勝彦に同棲していた女性がいたとしても、それが印鑑登録証明書を添付した委任状の真正を疑わせる事実とは言い切れない。

〈4〉 最も問題なのは、原判決が代理権の有無及び内容を疑わせるとして挙示する各事実の知情について、上告人らと訴外共栄火災及び同東京海上とを全く同列に扱つている点である。

前記のとおり、保険会社の保険金支払手続は、書類審査に基づいて行われており、本件において、訴外共栄火災は、戸籍謄本により離婚の事実を知り得た以外、他の事情即ち清水弁護士に関する事実及び同棲の女性については全く関知する余地がなく、本件記録中にも、原判決認定に沿う証拠は皆無である。

また、訴外東京海上にしても、前記のとおりその関与は間接的なものであつたため、右各事実の知情に基づく注意義務違反の存否について、直接当事者である上告人らと同一に扱うことは不合理である。

原判決のこの点に関する前記認定は、著しく経験則に違反するものというべきである。

〈5〉 なお、原判決の「示談直前」との認定が、いわば結果論ないしレトロスペクテイブな観点に基づくものであることに留意する必要がある。

本件は、約一年の示談交渉を経て示談成立に至つたもので、その経過に問題はなく、一方、示談成立の日が予め決定されていた訳ではないから、解任(但し、その時期が不明であることは前記のとおり)や委任状提示を示談成立の日から逆算し、「示談直前」とか「急に」とか述べて、恰も慌ただしく示談が行われたかのような印象を与え、それらの点を注意義務判断の前提にすること自体合理性に乏しいと思料する。

なお、一般的にみても、それまで所在が不明であつた当事者と連絡がつき、委任状が入手された場合、直ちに保険金を請求し、また、もし示談金額等が煮詰まつていたとしたら、直ちに示談成立を望むのが通常の当事者の心理であるから、委任状入手後の進展が急であることはなんら異とするに値しないと考えられる。

〈6〉 原判決が本件保険金支払手続について、民法四七八条の適用そのものを認めた点は評価すべきであるが、その適用の要件として、善意無過失のほかに、被上告人側の帰責性をも斟酌すべきであつたと考える。

即ち、被上告人は、本件事故発生を一週間位後には知つており、「靖峰が死んで半年位後」には損害賠償請求権があると気付きながら(第一審被上告人本人尋問。なお、甲一号証の交通事故証明書は、事故後約一カ月半の昭和五七年五月七日に被上告人によつて取得されている。)、約一年後の本件示談時まで加害者側または保険会社に対し、何等の請求も問い合わせもしなかつたのみならず、昭和五八年一二月ないし同五九年一月に広島市の高洲弁護士に相談するまで、本件示談についても何の行動も示していない(なお、被上告人が靖峰の葬儀、埋葬等の法事に出席したか明らかではないが、長男の死を一週間後に知つた母親が法事に全く出席しなかつたとは考え難く、また長時間長女寿江に会わないというのも不自然である。前記偽装離婚の蓋然性を併せ考えると、勝彦のいう被上告人が行方不明であるとの説明自体にも疑問なしとしない。)。

また、被上告人は、昭和五五年五月二〇日に定めた住民票上の住所を昭和五九年一一月一一日職権により抹消されるまで放置しており、このため勝彦の改印および新たな印鑑登録に利用される結果となつている。

これらの事情は、善意無過失を要件とする民法四七八条の適用に際し、公平の見地からみて、斟酌して然かるべきものと思料する(第一審判決も類似の判断をしている。同判決理由三4の末尾参照)。

(3) 以上のとおり、原判決が、上告人らの前記抗弁を排斥した認定については、その合理性妥当性に疑義があり、著しく経験則に違反する等、結果的に、民法四七八条の解釈を誤つたものと考える。

右は、民事訴訟法三九四条規定の、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背に該当するというべきであるが、仮に然からずとしても、同法三九五条規定の理由不備に該当するものと思料する。

よつて、原判決は破棄されるべきものと考える。

以上

上告理由

原判決には理由不備、理由齟齬の違法(民事訴訟法第三九五条第一項第六号該当)が存する。

一 原判決は、その理由第四項において、上告人ら及び補助参加人の債権の準占有者に対する弁済の抗弁について、

1「(一) 勝彦が控訴人を代理する正当な権限を有すると称して共栄火災保険、東京海上保険に対し各保険金の請求をしたので、共栄火災保険が昭和五八年四月二六日本件事故による自賠責保険の内控訴人取得分九八〇万円を、東京海上保険が同年五月七日本件事故による任意保険の内控訴人取得分一八三万五〇〇〇円を、それぞれ山口相互銀行小郡支店の勝彦名義の普通預金口座に振り込んで支払つた。

(二) 勝彦が自賠責保険を取り扱う共栄火災保険(中国営業部)に対し、控訴人を代理する正当な権限を有することを証明する書類として、(1) 控訴人が同年同月一三日勝彦に対し、靖峰の本件事故による損害賠償の自賠責保険金の請求、受領に関する一切の権限を委任する旨の、控訴人名下に「山田」の押印があり共栄火災保険御中と書かれた委任状(丙第二号証)、(2) 右委任状の印影と同一の印鑑登録証明書(丙第三号証)を提出し、(3) これらに基づき勝彦が作成して、控訴人が同年同月一四日共栄火災保険に対しその自賠責保険金の内控訴人取得分につき請求する旨の請求書(丙第一号証)を提出した。共栄火災保険は、これらの書面を審査して、勝彦が控訴人を代理する正当な権限を有するものと信じた。

(三) 勝彦が任意保険を取り扱う東京海上保険に対し、控訴人を代理する正当な権限を有することを証明する書類として、(1) 被控訴人らとの間に成立したものとして前記三認定の本件示談書(乙第一号証)と、(2) 右の付属書類である委任状(乙第二号証)、印鑑登録証明書(乙第三号証)であり、東京海上保険は、これらの書面を審査して、勝彦が控訴人の代理権を有するものと信じた。」

と認定する一方、

2「(一) 勝彦は本件事故後間もなく本件損害賠償請求を清水弁護士に委任し、清水弁護士が被控訴人ら、共栄火災保険及び東京海上保険と、約一年間約一〇回にわたり交渉を重ねたが、清水弁護士はその際、被控訴人ら、共栄火災保険及び東京海上保険に対し、控訴人は勝彦と以前に離婚しその後音信不通で所在が不明であり多額でもあるから、控訴人取得分については所轄の家庭裁判所で不在者財産管理人の選任を受け、その者とその賠償の交渉をすべきであり、自分は勝彦の取得分についてだけ委任をうけたもので、その点につき交渉するものである旨明示されていた。

(二) その間、勝彦は、直接被控訴人らと示談交渉をしたことも数回あつたが、その際には、何時も勝彦と同棲している女性が同席していた。

(三) 勝彦は、その後本件示談の直前になつて、清水弁護士を解任し、自らその賠償の交渉を始めたが、そのころ急に、被控訴人ら、共栄火災保険及び東京海上保険に対し、控訴人の所在が判明し、連絡の結果、勝彦が控訴人から本件事故による損害賠償の内控訴人取得分について示談をする代理権を授受された旨述べるに至つた。被控訴人ら、共栄火災保険及び東京海上保険は清水弁護士から従前聞いていた前記事情と異なるのに、何等の疑いを抱かずに、右勝彦の言うことを信じた。」

と認定した上、

3「被控訴人ら、共栄火災保険及び東京海上保険は、その直前まで勝彦の代理人をしていた清水弁護士から控訴人が勝彦と離婚しその後所在不明でその金額も多額であるから、控訴人のためには家庭裁判所で不在者財産管理人の選任を受けその者と交渉すべきであり、勝彦に関してのみその交渉をする旨述べられ、その旨の交渉を続けていたのであり、勝彦には、同棲していた女性がいたし、また、夫婦が離婚した場合には、婚姻関係は破綻し、両者間に法律行為を委任する信頼関係が欠けているのが一般であるから、清水弁護士が解任された後急に、勝彦自身から、自分が控訴人から示談をし、控訴人取得分について請求、受領する代理権を与えられたといわれ、それに沿う書類が一応存在していても、右各事情からみてそれが真実かどうかには多分に疑いを抱くのが通常といえるから、控訴人に対し、その代理権授与の有無及び内容について調査確認をすべき注意義務があるといわなければならない。しかるに、被控訴人ら、共栄火災保険及び東京海上保険は、いずれも、これを怠つた過失があるから、山口相互銀行小郡支店の勝彦名義の普通預金口座に振り込んで送金した前記認定の各支払は、民法四七八条の債権の準占有者弁済の要件を充足するものではなく、弁済としての効力を生ずるものではない。」

と前記上告人ら及び補助参加人の抗弁を排斥した。

二 補助参加人の債権の準占有者に対する弁済の抗弁は、本件加害車両についての自動車損害賠償保障法に基づく自動車損害賠償責任保険契約(以下、単に自賠責保険という)の保険者である補助参加人が、被上告人代理人訴外吉富勝彦の同法第一六条第一項に基づく損害賠償額の支払請求に対してなした金九八〇万円の弁済の主張であるが、補助参加人は右弁済の過程において一度たりとも右訴外吉富勝彦や同訴外人の代理人という清水弁護士と面談したり交渉を持つた事実は無く(原判示の挙示する証拠を精査してもその事実の存在をうかがわせるものすら皆無である)、したがつて補助参加人は前記原判決が認定した如き「清水弁護士から控訴人が勝彦と離婚しその後所在不明でその金額も多額であるから、控訴人のためには家庭裁判所で不在者財産管理人の選任を受けその者と交渉すべきであり、勝彦に関してのみその交渉をする旨述べられた」たこともなく、訴外吉富勝彦に同棲していた女性がいたことを知る機会もなく、清水弁護士の解任(選任さえも)という事実についても全く知らず、また訴外吉富勝彦の補助参加人に対する自賠責保険の請求には訴外東京海上火災保険株式会社は全く関与しておらず(原審証人郷田繁夫証人調書一七項、九四項)、したがつて補助参加人は右訴外会社の本件事故の示談に関与したという社員訴外郷田繁夫から右原判決認定の如き事情の情報を入手する機会もなかつたものである。

三 自賠責保険の保険金の支払(損害賠償額の支払を含む)は膨大な件数を出来る限り迅速に処理するため、適式な印鑑証明付の委任状の提出があればそれ以上に請求者の代理権限について調査することは不可能であり、請求者の代理権限に仮りに瑕疵が存したとしても書類上特段の疑義なき限り債権の準占有者に対する弁済として保険者が保護されてしかるべきのものである。

本件においても被上告人代理人訴外吉富勝彦の補助参加人に対する前記損害賠償額の支払請求は適式な印鑑証明の付いた委任状に基づくもので書類上は何ら疑義なきものであつたにもかかわらず、前記のとおり原判決は何らの証拠に基づかずして補助参加人が訴外吉富勝彦やその代理人という清水弁護士と交渉を持つたものとして、被上告人に対して訴外吉富勝彦への代理権授与の有無及び内容について調査確認すべき注意義務ありとし、それを怠つた過失を理由に上告人ら及び補助参加人の前記債権の準占有者に対する弁済の抗弁を排斥しているのであつて、右原判決には理由不備、理由齟齬の違法が存するといわねばならない。

以上

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